【マツダの歴史】1961年6月 「東洋一」と謳われた付属病院が完成
1961年6月、予防医学に力をいれ、地域に開かれた東洋工業付属病院(現・マツダ病院)が完成しました。
会社構内に初めて医務室が誕生したのが1938年。その3年後には、診療科目を増やし付属医院となりました。
戦後も設備の拡張や充実がはかられてきましたが、会社の規模が大きくなるのに伴い、社員数も増え、対応すべき診療体制の抜本的な拡充が必要となりました。そこで、立ち上がったのが新付属病院の計画です。
写真は1950年当時の旧附属病院と結核病棟の様子です。
この病院構想のベースには、創業家の歴代社長、松田重次郎と恒次親子2代に渡る強い思いがありました。
「社員に健康で安心して働いてもらいたい」
「東洋工業を支えて頂いている地域社会へ恩返しをしたい」
それが、社員の定期検診など予防医学に重点を置き、また地域に開かれた病院の設立につながっていくのです。
満を持して始まった新付属病院の建設。
1960年4月に着工し、工費約7億5000万円(当時)を費やして進められた一大プロジェクトとなりました。
そして、翌年1961年6月に新付属病院が完成したのです。
「マツダ病院」をご存じの方は、これらの外観写真にその面影を見つけられるでしょうか^^
開設時、新付属病院では、内科や小児科、外科、眼科、放射線科など10診療科をおき、当時最先端の医療機器を導入、病院のスタッフ数は約200名という一大総合病院に。全館にわたって冷暖房を完備し、さまざまな検査品質を高めるための中央検査室制度を採用するなど、1企業の付属病院としては当時画期的なものでした。
そして社員やその家族のみならず、地域住民の方にも開かれた病院として、地域医療に貢献する重要な役目を担うことになったのです。翌月に行われた竣工式には、高松宮殿下ご夫妻もご出席され、新付属病院は華々しくお披露目されました。
約半世紀を経て、2012年には入院棟が完成し、2013年には外来棟のリニューアルも行いました。
現在では、病院外来の8割、入院の9割は広島をはじめとした地域住民の方となっており、設立当初の思いを受け継ぎ、社員はもちろん、住民の皆さんに必要とされる病院として地域に根ざしています。
マツダはこれからも、病院を通じて地域社会に貢献していきます!
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