ロータリースポーツコンセプト「Mazda RX-VISION」に込めた想いをデザイン本部長の前田育男が語ります。
2015年11月8日(日)まで、東京ビッグサイトで開催される東京モーターショ-2015。ここで、世界初公開されているのが、ロータリースポーツコンセプト「Mazda RX-VISION」。
マツダブランドの魂を宿す、いつかは実現したい夢、ロータリースポーツコンセプト「Mazda RX-VISION」に込めた想いとは。東京モーターショー会場で、デザイン本部長の前田育男(まえだいくお)が語ります。動画でご覧ください。
そこで今日は、マツダのロータリーエンジンへの挑戦の歴史を振り返ってみたいと思います。
不変のマツダスピリット(Never Stop Challenging)
マツダのクルマづくりの歴史は、挑戦の歴史でもあります。
誰もが不可能だと思うことに敢えて挑み、大きな困難や高い壁に当たっても、決して諦めずに打ち破っていく。このマツダの「飽くなき挑戦」の精神をもっとも象徴しているのが、ロータリーエンジンの実用化です。不可能を可能にしたエンジニアたちの不屈の信念。そのチャレンジスピリットは「SKYACTIV技術」を生んだ現在にも脈々と受け継がれています。
不可能に挑んだ、ロータリーエンジン実用化の歴史
マツダとロータリーエンジンの歴史は、1961年に始まります。
当時、日本のモータリゼーションは戦後の混迷からようやく上向きに転化。乗用車メーカーの競争は激化する兆候を示すとともに、業界の再編成や資本提携などの動きが盛んになりつつある中、後発メーカーのマツダは自主独立のためにいかに個性を発揮するかの経営判断を迫られていました。
そのようなときに「夢のエンジン」と呼ばれたロータリーエンジンが発表されたのです。当時の東洋工業(現・マツダ)社長・松田恒次は自ら西ドイツのNSU社を訪ね、技術提携契約を締結します。その狙いは、未知の新技術の実用化を通じ、自社の高い技術力をアピールし、存在意義を広く世に示すこと。
いわば企業アイデンティティを賭けた壮大な挑戦は、夢とロマンに溢れるものでした。つまり、マツダはロータリーエンジンによって「新しいValueを創造することに挑戦する」ことで、独立した個性的なコーポレートアイデンティティを持った会社に飛躍しようと考えたのです。
(左写真:松田 恒次、右写真:NSU社から送られた最初のサンプルエンジン)
しかし、ロータリーエンジンの開発は困難を極めました。総勢47名のロータリーエンジン研究部の開発の行く手には、高速で回転するローターがハウジングの内壁を傷付ける「悪魔の爪痕」と呼ばれたチャターマークをはじめとする、多くの難問が立ちはだかりました。それでも開発陣は一切妥協することなく、あらゆる可能性に挑戦しながらロータリーエンジン実用化への道を切り拓いたのです。
(左写真:チャターマーク(悪魔の爪痕)、右写真:ロータリーエンジン研究部)
1967年5月30日、マツダはついに世界初の2ローター・ロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」を発表し、自動車史に新たな一歩を刻みます。翌1968年には、ドイツ・ニュルブルクリンクで開催されたマラソン・デ・ラ・ルート84時間耐久レースに参戦。コスモスポーツは4日間にわたるこのレースを走り抜いて総合4位を獲得し、ロータリーエンジンの優れた性能と耐久性が証明されました。挫折するたびに立ち上がり続け、いくつもの壁を乗り越えたエンジニアたちの不屈の努力により生まれた「コスモスポーツ」。ここから、現在もなお続く、ロータリーエンジンへのさらなる挑戦が始まります。
新たな時代を拓いた、ロータリーエンジンの進化
1967年に初登場した「コスモスポーツ」以降、マツダは「ファミリアロータリー」、「ルーチェロータリークーペ」、「カペラロータリー(海外名:RX-2)」、「サバンナ(海外名:RX-3)」など、次々とロータリーエンジン搭載車を導入しました。
その間に、1970年にアメリカで可決された大気浄化法案(マスキー法)や、1973年から始まったオイルショックなど、時代はより高い環境・燃費性能を要求するようになり、再び大きな試練が立ちはだかります。ロータリーエンジンの開発企業はマツダ1社だけという孤立無援の状況の中、マツダは奮起し、不屈のチャレンジ精神で燃費性能とエミッション性能を大幅に進化させました。その背景には、自社固有の技術を着実に育て上げていく社会的責任と、ユーザーやファンに対する信義があったのです。
1978年、フェニックス計画に基づいて開発し、飛躍的に燃費性能を高めたスポーツカー「サバンナRX-7」の大ヒットは、ロータリー復活を象徴する出来事となりました。その魅力的なデザインとロータリーエンジンならではの爽快なパワーフィールを備えたRX-7はモータースポーツでも活躍し、速さと耐久性、優れた燃費性能を持ったスポーツカーとして高く評価されました。このRX-7の登場によって、ロータリーエンジンは不死鳥のごとく甦り、新たな時代へと踏み出していきました。
その後もロータリーエンジンはパワーと燃費の両立を追求し、ターボチャージャーの搭載、3ローター化など、モータースポーツからのフィードバックを織り込みながら進化。そして1991年、700馬力、4ローターにまで進化したロータリーエンジンを搭載したマツダ787Bが、ル・マン24時間耐久レースで日本車初の総合優勝を獲得。参戦開始から18年、世界でもっとも過酷と言われ、総合的な性能の高さが求められる耐久レースにおいて、マツダの「飽くなき挑戦」が栄冠を勝ち取った瞬間でした。
そして時は移り、マツダがFordグループの一員として再スタートを切る1990年代後半、ロータリーエンジンの存在は、マツダブランドを再構築するためにとても重要な意味を持っていました。2003年、マツダは小型・軽量・高性能というロータリーエンジンの特質をさらに進化させた次世代ロータリーエンジン「RENESIS」を実用化。本格スポーツカーのスタイリングおよび運動性能と組み合わせ、4ドア4シーターという新しい価値を創造した「RX-8」を生み出したのです。
「マツダブランドの魂」としての存在
マツダにとってのロータリーエンジンの歴史は、マツダが個性的な価値を提供し続ける総合自動車メーカーとして自主独立し、成長していく歴史そのものです。そしてマツダにとってロータリーエンジンとは、単なる製品のひとつとしてだけでなく、その苦難の実用化から奇跡の復活劇を通じ、いつの時代もたゆまぬ挑戦と創造を続けるマツダを象徴する、「マツダブランドの魂」と言える存在なのです。
現在、ロータリーエンジンの開発に取り組んでいるのは、世界で唯一マツダだけです。技術開発を競うライバルもいなければ、教科書も存在しない、まさに未知の技術。しかし、だからこそマツダは挑戦し続けています。「挑戦」はマツダのDNAであり、挑戦の歴史を積み重ねてきたからこそ、現在のマツダがあるといっても過言ではありません。
2011年マツダは、内燃機関の常識を打ち破り、クルマの基本技術をゼロから見直して造り上げた「SKYACTIV技術」を生み出しました。技術的な可能性を信じ、未知の技術に全力で挑戦し、個性的な新しい価値をお届けする。ロータリーエンジンの開発で培ってきた「飽くなき挑戦」のスピリットは、現在のマツダにもしっかりと受け継がれています。
最後に、マツダ社内向けのビデオをご紹介します。マツダ社員自らマツダの商品やモノ造りの考え方を理解するために制作したもので、ご来社されたお客様や 社外講演等で上映させていただいます。