平和を願い、広島菓子文化を育てるための「百試千改」
2005年に3代目マツダ ロードスターが日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した際、実行委員長のスピーチにこうありました。
「紛争地帯ではスポーツカーは生きては行けない。平和のメッセージを込めて、このクルマを日本から世界に誇りを持って発信します。なぜならば、このクルマは広島生まれですから」
マツダは「平和だからこそ運転が楽しめる」 ことを皆さまから教えていただきました。
同じ広島の企業で、お菓子を通じて世界平和を願う企業があります。
もみじ饅頭で有名な「にしき堂」(広島市東区)です。
にしき堂とマツダは、共に広島に根ざす企業としてお客さまの笑顔につながるようにと、これまで2015年から4回にわたりコラボレーション商品をお届けしてきました。
最近では、「にしき堂×MAZDA 特製饅頭&もみじ詰合せ」を発売しています。
今回は、にしき堂がどのような思いでお菓子をつくっているのか、取材を行いました。
世界平和と広島菓子文化への思い
にしき堂は1951年に大谷照三(おおたに てるそう)氏が創業。
その息子である現社長の大谷博国(おおたに ひろくに)さんは「もみじ饅頭」の製造を開始した1953年に生まれました。
にしき堂 代表取締役社長 大谷博国さん
「幼少期は今と違うところに工場があり、自宅も同じ建物にありました。もみじ饅頭を焼く機械の音が子守唄がわりでしたね」
にしき堂の本社では、今でも朝から製造機械の小気味いい音が聞こえてきます。
物心ついた頃から、笑顔で和菓子を購入するお客様を目にし、海軍で水上機のパイロットであった父から平和の尊さを教えられていた博国さんはひとつの言葉を提唱します。
「お菓子は平和の食べものである」
「お菓子を食べながら喧嘩をする人はいません。そこには笑顔や幸福感が満ちている。世界中の子どもたちがお菓子を食べられるようになれば、世の中から戦争はなくなるだろうと、菓子屋仲間内でも話し合います。」
「日持ちの関係で叶いませんが、戦禍にある子どもたちに、にしき堂のお菓子を配れればと思うことがあります」
平和の大切さを発信し続けることも重要だと言います。
「G7広島サミットで、各国首脳が平和記念公園と原爆資料館に足を運んでいただいたことは大きな一歩。感動ものでした。広島県は平和都市として、当時の被爆被害について発信し続けるべきだと思います。」
「それと同時に今現在、平和だからこそお菓子が食べられる。広島で菓子文化が培われていることも伝えていかなければなりません」
2023年5月のG7広島サミットにあわせて開催された「Pride of Hiroshima展」でもにしき堂は平和についてメッセージを発信しています。
挑戦を続ける姿勢「百試千改」の歴史
これからも広島でお菓子をつくり続けていく。そのために立ち止まらず挑戦を止めない。
百回試して千回改める「百試千改(ひゃくしせんかい)」をにしき堂はモットーとして掲げています。その姿勢は歴史からも読み取ることができます。
創業当時、世にあるもみじ饅頭は取っ手付の重い金型を使い、炭火で手焼きをしていました。
重労働で火加減が難しく、限られた職人だけしか焼くことができません。そのため、多くの人が食べることができるものではありませんでした。
炭火手焼き時代の金型
創業者の照三氏は、ガスと機械で焼くことはできないかと考えました。東京の人形焼きなど、カステラ生地を使用した饅頭の製造を全国津々浦々見て回りましたが、当時はまだどこもガス化、機械化はしていなかったそうです。
照三氏はならばと、ガス焼き機を自作しました。
当時のガス焼き機
また、今では当たり前の個包装も、もみじ饅頭ではにしき堂が初めてだそうです。
もみじ饅頭の個包装
ガス焼き化、機械化で大量生産を可能とし、個包装としたことで、お土産としても利用され、もみじ饅頭は日本全国、多くの人々に食べていただけるようになりました。
商品開発にも力を入れてきました。
洋食文化が根付いて来た頃に和洋折衷菓子の「新・平家物語」、生八つ橋のようなモチモチした食感が好まれた時代に「生もみじ」、より多くの方々に気兼ねなく食べていただきたいという思いから、糖類を控え、7大アレルゲン対応も行った「もみじ饅頭Light」など、時代にあわせた商品開発を続けてきました。
「どうしても新商品に目が行きがちですが、『百試千改』で数字が大きいのは『改』。商品化したお菓子もよりおいしくなるように改良を重ねています。時代が変わればお客様の嗜好も変わる。もみじ饅頭も誕生当時のままのレシピであったら、今のお客様には受け入れられていないでしょう」
創業から70年を超え、現時点で種類では44、味では72の菓子ラインナップを揃えます。
「ちょっと増やしすぎましたけどね(笑)。でもひとつひとつストーリーがあって大事なお菓子達です」
多種多様なお菓子はどのように作られているのか
これだけの多種多様なお菓子を、どのように製造しているのか。本社工場製造部の西亀功二(にしかめ こうじ)さんに案内いただきました。
西亀功二さん
(1)需要に応じて柔軟に対応
まず圧巻なのがもみじ饅頭用の製造ラインです。全11機が引っ切り無しに動いています。
次々ともみじ饅頭が焼き上がります。
「これらの機械で、もみじ饅頭と生もみじを製造しています。今は合わせて17種類あるので、11機のうちいくつかは、一度洗浄して中身を入れ替えて異なる味のものを製造しています。だいたい、1日10万個、繁忙期は30万個生産するときもあります」
もみじ饅頭以外のお菓子についても、各々機械化してあり、需要に応じて柔軟に稼働させています。
(2)自社製へのこだわり
生地、餡ともに自社製であることも特徴です。厳選した素材を使用し、広島県安芸郡海田町にある工場で製餡。生地は本社工場で製作しています。
厳選した小豆と水で製餡する
生地も自社製(左:カステラ生地 右:水羊羹生地)
「餡と生地も含めて自社製であることは強みですね。臨機応変に味の調整ができます。例えば、同じもみじ饅頭だとしても、あんこやチョコレートなど、中の味に合わせて、カステラ生地自体の味も変えています」
「また、同じ味のもみじ饅頭でも、季節によって配合を変更しています。日頃から生地と餡にふれているのは、作り手の意識も高くなりますし、新商品開発の知見としても役立ちます」
これだけの設備と、柔軟な生産体制、とことん自社製にこだわる姿勢があるからこそ、多種多様な商品製造を可能にしています。
開発者のこだわり
にしき堂では、製造担当者が商品開発も行います。工場を案内いただいた西亀功二さんと、伊藤佑一郎(いとう ゆういちろう)さんにお話しを伺いました。
お二人とも広島県出身。学生時代から、にしき堂のお菓子が身近にありました。
左:西亀功二さん 右:伊藤佑一郎さん
西亀さんは最近では、季節限定の「さくらんぼもみじ(春)、あんずもみじ(夏)、かぼちゃもみじ(秋)」や、オタフクソース社とコラボレーションした「新・デーツ物語」を担当。
伊藤さんは冬限定の「チョコっと大福」や、「こしあんソフト」を担当しました。
西亀さん「気づいたら商品開発業務を通じて『百試千改』をしているという感覚ですね。それだけこの会社に根付いている考え方なのだと思います。『さすがにしき堂だな』と言われるお菓子作りを続けていきたいですね」
伊藤さん「まぁいいかと妥協するとそこで終わり。お客様とのご縁は大切にしたい。にしき堂の看板に恥じぬよう、何回も何回も繰り返して、おいしいお菓子を提供したいという気持ちになるのは必然だと思います」
西亀さん「商品によって異なりますが、10 ~40回くらいは試作品を作ります。同僚の意見をきいて、専務や社長に持っていきます。社長まで気軽に意見をきけるのも、新商品を開発しやすい理由だと思います」
こしあんソフトを試食させていただきました。
餡子は和菓子を構成する、素材のひとつ。他の素材と調和することで味が完成します。
このソフトクリームでも同じ感覚を覚えました。わかりやすく餡子の味だけを前面に出して主張させるのではなく、ミルクソフトとうまく調和したとても上品で美味しいソフトクリームでした。
伊藤さん「こしあんソフト開発のきっかけは、専務からの提案でした。ご自身がソフトクリームに目がないというのが一番の動機でした(笑)。それだけアイデアを出すハードルが低く、能動的に取り組む社風なのだと思います。生もみじの餡子をベースにアレンジしたものを採用しています。餡を自社製にしているからこそ、開発はしやすかったですね」
将来にむけて
にしき堂でかなえたい夢について、お聞きしたところ、お二人とも信念を持ちつつ謙遜されながら同じことを話されました。
「生もみじを超えるような、素晴らしいお菓子をつくりたい」
生もみじは、開発に10年を費やして2009年3月に発売された、新食感のもみじ饅頭です。
お菓子に関する各賞を受賞し、今ではにしき堂の売上の多くを占めています。
伊藤さん「生もみじを創ったのは、当時工場長であった平賀勝也(ひらがかつなり)さん。残念ながらお亡くなりになったのですが、生もみじは形として残って今も生きています。にしき堂に入ったからには、そのようなお菓子を作りたいという気持ちはあります」
西亀さん「平賀さんは我々の中の礎。今販売しているお菓子のほとんどに関わっています。葬儀の時、喪主の息子さんが『全国に名前が通じるお菓子を生み出した父を誇りに思う』とスピーチされていました。そのようなお菓子を創るというのは夢ですよね。
約30年後、創業100周年を迎えた時に、我々の世代で生み出したお菓子が語り継がれるようになっていたら、という思いがあります。まだまだ、今の私たちではおこがましいですけれども」
冒頭にお話しくださった、社長の大谷博国さんも広島県菓子工業組合の理事長として、広島の和菓子文化を大切にした新しいプロジェクトを進めています。
「広島県産小豆を使ったお菓子開発事業」です。
大谷さん「平安時代には、広島では小豆を栽培していました。当時から菓子文化があったであろう証のひとつです。江戸時代には小豆を米のかわりに年貢として収められていたという記録もあります。2017年からJAの協力を得て、ゼロから広島県で小豆を栽培。広島県菓子工業組合の各社でお菓子に加工して販売しています。広島県の菓子文化を大事に育てていきたいですね」
広島県産小豆を使用した生もみじ(粒あん)
お客様の笑顔と世界平和を願い、にしき堂の誇り高き「百試千改」は続いていきます。
マツダは広島に根付いた企業として、広島の良さを知ってもらいたいという願いをもち、広島企業とのコラボレーション「広島つながリンク」を始めました。今回は、「ReSEED農園」に続き、にしき堂さんをご紹介しました。
取材を通じ、平和と菓子文化への思い、モノづくりへの熱意と純粋な気持ちに感動を覚えました。マツダもにしき堂とさん同様に、一人でも多くのお客様を笑顔にできる企業でありたい。と、改めて思いました。
にしき堂×MAZDA 特製饅頭&もみじ詰合せ
https://www.nisikido.net/product/detail/310
広島つながリンクに関するニュースリリース
https://newsroom.mazda.com/ja/publicity/release/2023/202303/230306a.html
マツダはにしき堂の皆さんのように、前向きに今日を生きる人や企業を今後も取材してまいります。