グローバルでつながる想い、マツダ折り鶴プロジェクト ~平和への祈りよ届け!
みなさん、折り紙で鶴を折ったことはありますか?
「折り鶴」は、日本の伝統的な遊びである折り紙の一つですが、平和のシンボルとしても知られています。
今回のブログでは、折り鶴を通じて、マツダから平和への祈りを届ける活動をご紹介します。
マツダの本社がある広島県には、世界平和への祈りを捧げる場所として平和記念公園(広島市中区)があります。
二本の川に挟まれた広い三角地帯に位置するこの公園には、緑豊かな園内に原爆ドームやモニュメントなどが集まり、世界中から多くの方が訪れる場所でもあります。
その中でも、原爆で亡くなった子どもたちを慰霊する「原爆の子の像」には、日本国内をはじめ世界各国から、平和を願い数多くの折り鶴が捧げられています。
例年は、その数は年間約1千万羽。
しかし、今年(2020年)は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受けて、国内外からの観光客や修学旅行生が激減したことにより、原爆の子の像に寄せられる折り鶴の数は、例年の半数にまで減っていました。
そこで、マツダ社員で折り鶴を届けようとする自主的な活動が発足。8月6日の平和記念式典にて、広島本社の社員を中心に集めた、約6千羽の折り鶴を贈呈しました。
この取り組みをきっかけに、海外の販売代理店にも協力を呼びかけ、折り鶴プロジェクトがスタート。
カナダやメキシコ、オーストラリア、ドイツなど約10か国から協力を得て、2カ月あまりの間になんと、3万3千羽の折り鶴が集まりました。
プロジェクトをリードした、グローバル販売&マーケティング本部の多木仁美(おおぎ ひとみ)は、活動当初の想いをこう語ります。
(写真左:集まった折り鶴、写真右:多木仁美)
「最初は海外の仲間たちから本当に折り鶴が集まるのだろうかと、少し不安に感じていました。そこで、ただ鶴を折りませんか、と呼びかけるのではなく、なぜ広島では平和のシンボルとして折り鶴が知られているのか、鶴を折ることの意義をきちんと共有しようと思いました。」
折り鶴が平和のシンボルとして考えられるようになったのは、被爆から10年後に白血病で亡くなった一人の少女、佐々木偵子さんが大きく関わっています。「原爆の子の像」は、偵子さんが亡くなった後、全国からの募金により完成したもの。
きちんと自分の言葉で説明するために、自ら平和記念公園に足を運び、折り鶴と平和にまつわる様々なエピソードを学んだそうです。
その想いや背景を深く理解した海外の仲間たちは、プロジェクトに賛同し、一緒に鶴を折り始めてくれました。
(鶴を折るコロンビアのマツダ社員と、コロンビア国旗の折り紙)
「そもそも海外には折り紙というものがなく、また日本語の『山折り』『谷折り』などの表現もありません。折り紙自体に慣れない方が多い中で、リモートで折り方を伝えるのは本当に苦労しましたが、動画を活用するなど色々工夫をこころみました」
(鶴を折るオーストラリアのマツダ社員と、南アフリカのオフィスで集まった折り鶴)
どうにか一羽を最後まで折ると、みなさんとても嬉しそうな表情を見せたそうです。
ニュージーランドでは、マツダ販売代理店の近くの小学校に通う子どもたちも参加。ポーランドではお好み焼き屋でも鶴を折っていただくなど、プロジェクトの活動の輪はどんどん広がっていきました。
(マツダヨーロッパのオフィスにて、ロビーに設置された折り鶴回収コーナー)
「得られたのはたくさんの折り鶴だけではありません。
マツダグループ全体で平和について考えるきっかけとなりましたし、コロナ禍で対面コミュニケーションがかなわない中、折り鶴を通じて絆を深めるきっかけとなりました。」
(メキシコでプロジェクトに参加したメンバーと、折り鶴)
平和を願う想いや歴史について、普段の業務ではなかなか触れる機会がありません。しかし、きちんと想いを伝えて分かってもらえれば、どんどん繋がり広がっていくのだと実感したのだとか。
「広島に根付く企業として、広島の歴史や平和を願う想いに少しでも貢献できたことは、とても嬉しく思っています。それに加えて、グローバルに活動する企業として、ONE MAZDAで貢献できたことは、私たちマツダ社員にとっても、貴重な体験となりました。」
11月24日に平和記念公園で行われた贈呈式では、3万3千羽の折り鶴が、原爆の子の像に捧げられました。
世界中から飛んできてくれた折り鶴一羽一羽に、マツダの仲間による平和への想いが込められています。
折り鶴プロジェクトは、まだ終わりではありません。
夢のあるクルマづくりを続けられるように、マツダではこれからも国内外の仲間と協力して折り鶴を募り、平和への想いを届けていきたいと考えています。