We Won the Day ルマン24時間耐久レース 1991での優勝から、30周年を迎えます。
モータースポーツファンにとって6月といえば年に1度開催される、伝統あるルマン24時間耐久レースを想起する方も多いのではないでしょうか。
モナコグランプリ、インディ500と並び世界3大レースとも言われるレースイベントですが、昨年と今年は新型コロナウイルス感染の影響でその日程が延期されています。
今から30年前の1991年の6月23日(日)、4ローター・ロータリーエンジンを搭載したレーシングカー「マツダ787B」がフランスのサルトサーキットで行われたルマン24時間耐久レースで日本車初の総合優勝を果たしました。今回のブログでは当時の様子を振り返ります。
「マツダ787B」 1991ルマン24時間耐久レース優勝車
マツダ独自のロータリーエンジンとモータースポーツの関わり
1960年代当時、一般的なレシプロエンジンと全く異なる構造のロータリーエンジンの実用化開発は、多くの自動車会社の注目を集め、マツダにとって極めて重要な取り組みでした。
1967年に2ローター・ロータリーエンジンを「コスモスポーツ」に初搭載して販売を開始。やがてロータリーエンジン搭載車のラインナップをルーチェやファミリアなどに拡げていきます。画期的な新エンジンの高性能を証明するかのように、ロータリーエンジン車は、登場以来国内外のレースシーンで活躍しました。
マツダで最初のロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」
世界初の2ローターロータリーエンジンを搭載
1968年マラソン・デ・ラ・ルート84時間レースのコスモスポーツ(MAZDA 110S・#19)
1970年には、海外のプライベートチームがロータリーエンジン搭載車でルマン24時間レースに出場しています。
市販ロータリーエンジン車では、1970年代の公害問題を背景にした厳しい排ガス規制をいち早くクリアして2代目「ルーチェ」が最初の公害対策車に認められました。
1978年には、排ガス浄化性能、燃費性能を最新技術で改善した「サバンナRX-7」が登場し、国内外でヒット。リトラクタブルライトを搭載したスタイリッシュなデザインと走行性能が好評で、国内外のスポーツカーファンの注目を集めています。
RX-7は、その後3代にわたりモータースポーツで長期にわたって活躍し、高性能な走りのイメージを印象づける存在になっていきます。
「初代サバンナRX-7」(画像は市販車)
サバンナRX-7は1979年米国IMSAデイトナ24時間レースでGTUクラス優勝。総合5位。
レース用ロータリーエンジンはやがて2ローターから3ローターに進化して高出力化していき、1987年にはルマン24時間レースで総合7位(クラス1位)を獲得します。
国内では空前の好景気を背景に、高級2ドアクーペ「ユーノスコスモ」(4代目コスモ)を発売。市販車では初の3ローター・ロータリーエンジンを新開発のシーケンシャル・ツインターボシステムと組み合わせて初搭載しました。
写真左:「ユーノスコスモ」 写真右:20B 3ローターエンジンを市販車で唯一搭載
1991年のルマン24時間レースに参戦したマツダ787Bに搭載されたレース用エンジンは、4ローターのロータリーエンジンに可変吸気システムを組み合わせた仕様に進化。最高出力700馬力。カーボンブレーキも初採用するなど他社のハイパワーエンジン車と競うためのパフォーマンスを実現していました。
ルマン サルトサーキット 1991年6月23日(日)16:00の歓喜
24時間の耐久レースであるため、現地時間で前日の16:00にスタートし、夜間走行を経て翌日の16:00にゴールを迎えます。時差のためゴールの時間は日本では夜中になります。マツダ広島本社の広報部には参戦チーム「MAZDASPEED」から、刻々とレースの経過を伝えるFAXやテレックスが届いていました。
マツダ787B 55号車と18号車
レースは先行するメルセデスをジャガーとマツダが追う展開。レース終盤を迎え、トップを走っていたメルセデスがトラブルでピットイン。その間に周回差を逆転しマツダ787B 55号車が先頭に。787B 55号車の姿に目が離せなくなっていきます。ジャガー各車も後続します。
日本でのテレビ放送はライブ中継ではなく現地とは時間差がありました。現地で優勝が決まった時、日本のテレビ放送画面ではまだマツダ787B はゴールへ向けて走り続けていました。
コスモスポーツはじめロータリーエンジンの研究開発を主導してきた、1991年当時会長の山本健一へ現地から優勝したことが伝えられました。
POLE POSITION Vol.25表紙
マツダが当時レースファン向けに発行していたレース情報誌 「POLE POSITION Vol.25」ではルマン24時間レースについて報告。巻頭ページには山本健一のメッセージが掲載され、チームスタッフやドライバーへの感謝とともに、ロータリーエンジンの父であるフェリックス・ヴァンケル博士、開発を決断した故松田恒次社長、世界中のロータリーエンジンユーザー、ファンへの想いが語られました。
ルマン24時間レース総合優勝を伝えたニュースリリース
当時の好景気を背景に、多くの日本企業がモータースポーツを支援。テレビCMやレース放送などで目にする機会も多く、一般の方にも関心が高まっていました。
1991年の秋に開催された東京モーターショーのマツダブースでは、大型ディスプレイに流れたルマンのレース映像に見入るファンが多く訪れ、また、発売を目前に控えた「アンフィニRX-7」(3代目RX-7)や水素ロータリーエンジン搭載車も同時に出展され、注目を集めていました。
1992年、前年の優勝チームとして大橋孝至(おおはし たかよし)監督率いるMAZDASPEEDチームはルマンに再び集結。搭載エンジン形式が3.5Lレシプロエンジンに統一された新しいレース規定に対応し、ロータリーエンジンではなく、V型10気筒レシプロエンジンを載せた2台のマツダMX-R01で参戦しました。(5号車が総合4位入賞)
マツダMX-R01 (1992年ルマン24時間レース参戦車)
その後、バブル景気の終焉にともない経営環境は厳しさを増していきます。そしてマツダは苦渋の決断としてルマン24時間耐久レースやWRC(ワールド・ラリー・チャンピオンシップ)などのトップカテゴリーのモータースポーツへの参戦を休止しました。
時代とともにルマンのレース規定も変わっていきます。近年ではディーゼル車やハイブリッド車などもルマンの優勝車に加わるようになりました。今年のルマン24時間レースは、コロナ禍のため伝統的な6月中旬の開催ではなく、夏に延期が予定されています。世代を越えた夢の舞台に感謝し、すべてのモータースポーツの関係者にエールを送りたいと思います。
2021年6月 広島本社ショールーム(2021年6月現在閉鎖中)
■ルマン優勝30周年メモリアルサイトはこちらから(マツダオフィシャルサイト)
https://www.mazda.com/ja/innovation/lemans30th/